8月18日~20日
本州最後の夏祭り
田名部まつり開催
地域の安寧を願ふ、年に一度の重要な祭典です。
近隣の皆様には、渋滞・騒音などご迷惑をおかけ致しますが、
何とぞご理解ご協力の程賜りますやう、よろしくお願ひ申し上げます。
御遷座400年記念事業
社殿銅板葺き替へ
ご寄付のお願ひ
当社の現在の拝殿は、約50年前であります昭和49年に建立されて以来、長年の風雪に耐へてまいりましたが、近年、御屋根に損傷が見られるやうになってまいりました。
今後、御屋根のお葺き替へ工事を行ひ、境内の整備と益々の御神徳発揚を図りたく計画してをります。
つきましては、地域の皆様にお葺き替へに必要な銅板調達のためご寄付にご協力下さいますやうお願ひ申し上げます。
来る秋にはクラウドファンディングによる資金調達も計画してをります。返礼品などに関する情報は追って公表致します。

大東亜戦争終戦80年
終戦80年特設サイト|靖國神社
いま、かうして私たちが平和で豊かに暮らしてゐられるのは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、決して忘れてはなりません。
令和7年は大東亜戦争終戦80年の節目の年です。この機会に、ぜひ靖國神社へお参りし、英霊に感謝の気持ちをお伝へしませう。
青森縣護國神社のすゝめ
護国神社 (ゴコクジンジャ) | 弘前公園総合情報
青森縣護國神社は、津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより函館戦争の戦没者慰霊のため、明治3年に創建され、明治43年3月に弘前招魂社とし現在地に移築、昭和11年8月青森縣招魂社となり、昭和14年4月、一府県一社を原則とした内務大臣指定護國神社となったものです。
幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦ひで、日本の平和と美しい山河や愛する家族を護るために亡くなられた、青森県出身2万9,171柱の方々の御霊が「英霊」(神様)としてお祀りされてゐます。
八月に祈る
第4弾youtubeにて公開(東京都神道青年協議会)
戦争から80年──
記憶が薄れゆく今、命の尊さと平和の祈りを次の世代へ。
動画「八月に祈る」公開中。
亡き人々の“祈り”に耳を澄ませ、未来へ。
戦後80年の節目に、ぜひご覧ください。
御祭神
社名 田名部神社
社号 海辺總鎮守
北郡總鎮守
示現太郎大明神
御祭神 昧耜高彦根命
誉田別命
宇曽利山大山祇大神
管下神社大神

田名部神社の由緒
当社の創立年代は元和2年(1616)の類焼のために不明であるが、康永4年(興国2年・1341)の鰐口が残されてゐる。
寛永12年(1635)盛岡城事務日記によれば、当大明神は関東宇都宮二荒山より万民守護のため宇曾利山に御飛来、大平村荒川一本松に鎮座のところ、22代先別当小笠原丹後霊夢により田名部村に動座し、神領100石を有し海辺總鎮守・北郡總鎮守・田名部大明神と尊稱され、柳町の高台に鎮座してゐたが、元和2年に社殿記録等を焼失し明神町に動座してゐる。
下北半島は平安鎌倉時代より明治11年明治政府により郡制が施行され奥州南部北郡が上北・下北の2群に分離されるまで、田名部や田名部通と稱してゐた。
慶仁のころから天下はおおいに乱れ、北郡各地には南部氏にされるまで、小笠原・蠣崎・菊池・工藤・安宅・新谷・広瀬の豪族がゐたが、根城南部氏の統治により蠣崎氏は松前に移り、工藤氏は根城南部氏の籍に入り、安宅・広瀬氏は藩命により三戸の切谷村に転じ、小笠原氏は民に帰し現在に至った。小笠原には、宮内・宮田・坂本・菊池・葦谷・赤星等の一族郎党がゐた。
宮田勝盛は小笠原磐美の祖で、射術の達人で、南部二十世重信公、八戸南部始祖長房公の御弓の御師範であった。(南部藩参考諸家系図)
江戸時代の祭典
田名部神社は田名部通り總郷100ヶ村の總鎮守で田名部通りには、本村34ヶ村支村66ヶ村の村々があり、田名部町を中心に関根から北を北通り大平から西を西通り、現在の東通村は東在と稱し、根城南部氏が統治してゐたが、寛永4年2月(1617)宗家南部氏の懇望により根城氏は田名部通りを宗家に譲渡し遠野に移った。
宗家南部氏は田名部町に代官所を置き、田名部通の村々を支配した。
当神社は歴代南部公を始め庶民の崇敬が篤く、大祭には南部公代参としての田名部代官参社のもとに祭典が執行され祭典の開始と終了は早馬で盛岡の本藩まで報告された。
田名部通り本村33ヶ村からは、それぞれの町名を記した燈篭が献燈され、大畑町は延享元年(1744)、川内町は安永6年(1777)に町名を許されてゐた。
この大畑と川内の大燈篭は33燈篭の双排といはれた。

5月5日こどもの日
泣き相撲大会
田名部場所
泣き相撲は、子どもの健やかな成長を祈願するもので、古くは400年前から行はれてきた日本の伝統行事です。
まさに生命の息吹きとも云ふべき赤子の泣き声は、邪を払ひ福を呼ぶ目出度いものとされてきました。子どもは家の宝であり、郷土、国の宝です。成長の節目に、家族の思ひ出に是非ご参加下さい。

デジタル版神青協通信
神道青年全国協議会(略称:神青協)は、全国津々浦々の神社に奉職する若手神職の集ひです。
祖先から受け継いだ伝統を大切に守りつつ、よりよい未来を見据ゑて、様々な活動を行ってゐます。
昭和46年に発刊した神青協通信は、これまで事業の報告や青年神職としての思ひを込めた発信を続けてまいりました。
この度、より多くの方に、そして迅速に届けたいといふ思ひからWEB版へと形を変へました。
これからも何を誰に伝へるのか。時流に合はせた発信を続けてまいまいります。
日本人は、
“自然の恵みや神々の生命の息吹を受けて誕生してくるもの”と考へてきました。
この生命をさらに充実し、よりよき生活を営むために、年齢の節目ごとに神社にお参りをして、神々のご加護を願ひ、その恵みに感謝する行事が数多く行はれてきました。
これらは「人生儀礼」と呼ばれてをり、神社で神主さんに祝詞をあげてもらひます。
その祈りは新たなる出発を決意する、人生の大切な儀式であるといふことができます。
着帯の祝いと安産祈願

子宝に恵まれたことを神さまに感謝し、妊娠五ヶ月目の戌の日に神社に詣で「安産祈願」をし、「着帯の祝ひ」をします。
戌(いぬ)の日が選ばれるのは、犬の安産にあやかるためと言はれ、妊婦は赤ちゃんが岩のやうに丈夫に育ちますやうにとの意味の込められた「岩田帯」をしめます。
そして、母体の安全と無事に赤ちゃんが生まれることを願ひます。
初宮詣

赤ちゃんが初めて神社にお参りして、氏神さまのご加護のもと無事に誕生したことに感謝し、これからも健やかに成長するやうにと祈ります。
全国的には、男子は生後31日目、女子は33日目ごろにお参りをし、神社で祝詞をあげてもらひます。津軽地方では男子120日目、女子110日目に初宮詣をするしきたりとなってゐますが、体の抵抗力が弱い赤ちゃんのことですから、必ずしも日数にとらはれることなく、天候のよい日にお参りされるとよいでせう。
七五三詣

古く平安時代から「男女三歳で髪置」、「男子五歳で袴着」、「女子七歳で帯解」のお祝ひの儀式がありました。これが七五三の由来です。
今日では11月15日前後、雪の降る地域では10月頃から家族そろって神社にお参りし、子どもの成長を神さまに感謝し、これからの無事を祈ります。
厄祓ひ
一般に、数え年の男25歳・42歳・61歳、女19歳・33歳・37歳は「厄年」にあたり、その前後を前厄・後厄といいます。
特に男42歳、女33歳は「大厄」といはれ、人生の重要な年回りであり、肉体的・社会的立場・家庭環境などに変化が多く、災厄の多い時期とされます。
古来より神社にお参りし「厄祓ひ」を行ふことが習慣となってゐます。
年祝ひ(算賀祭)
家族が長寿であることほどおめでたいことはありません。「還暦」をはじめ、ある一定の年齢に達したことを神さまに奉告感謝して、一家そろって長寿のお祝ひをします。
61歳は干支が一巡して生まれ年と同じ干支になることから《還暦の祝》または《本卦がへり》。70歳はこれほどの長寿は「古来稀なり」として《古稀の祝》。77歳は「喜」の草書体「㐂」を七十七とみて《喜寿の祝》。88歳は「米」を「八十八」と書くことから《米寿の祝》。99歳は「百」から「一」をとって《白寿の祝》。そのほか《傘寿の祝-80歳》《卒寿の祝-90歳》《上寿の祝-110歳》《茶寿の祝-108歳》《皇寿の祝―111歳》があります。
各種お申込みお問合せはお電話にて
電話0175-22-7470
(FAX専用0175-22-3022)
なお、祭典等の状況により電話に出られない場合があります。しばらく経ってからお掛け直し下さい。

